物置

書いたものを置く場所です。

一人の男の子のおはなし

あるところにごく普通な、仲のいい夫婦がいました。 二人は愛を育み、一人の子をさすがりました。 夫は喜び、子供に付ける名前を考え夜も眠れぬようで、妻は母になる瞬間を心待ちにしていました。 医師からも、何の問題もない、元気な男の子だと言われていました。

 

そしてその日はやってきました。 難産というわけでもなく、すんなりとことは進むはずでした。しかし看護婦が男の子を抱えた瞬間、母親はなんの前兆もなく息を引き取りました。 父親は嘆き悲しみ、医者に怒りと疑問をぶつけました。医者は全く原因がわからない、急死だとしか答えようがありませんでした。最愛の人を亡くした夫の絶望と憎悪は行き場をなくし、燻り続け、母親の面影のある息子を見るのも嫌になってしまいました。 ついに夫は息子を捨て、身をくらましてしまいました。

 

男の子は一人になりました。

 

様々な施設を転々としながら、一人のまま物を持つように、立つように、しゃべるように、成長していきました。

そして、6歳の頃男の子は施設の何人目かわからない新しい友達と、お外で遊んでいました。

友達はボールでサッカーごっこをひとしきりしたあと、何かを見つけたように突然草むらのそばでしゃがみこみました。 男の子は不思議がって訪ねました。

「どうしたの?」

友達は答えました。

「アリさんだよ!ほら、ここ」

友達は、蟻の巣に棒を突き刺したり、出てきた蟻を踏んだりして遊んでいました。

踏まれた蟻はジタバタと手足を必死に振り続け、もがき苦しみました。下半身を刺された蟻は地べたを這いずりまわり、少しして事切れました。

男の子は、見たこともない遊びを見つけ、友達と一緒になって遊びました。

 

その日は一日中、蟻で遊びました。

 

その日からしばらくし、施設の中で先生達と元気に遊ぶ子供達を見て男の子は気になりました。

男の子の頭の中には、この前の蟻がありました。 男の子は思いました。

「こっちはどうなんだろう?」

 

部屋の壁紙は白から目の冴える赤に変わっていました。

工作の次官で作った絵も、折り紙も、机も、椅子も、全て真っ赤に染まっていました。

男の子の疑問は解決しました。

お腹が潰れた子はもがき苦しみ、血反吐を吐きながら床をのたうち回りました。足をもがれた子は奇声を発しながら泣き叫び、しばらくして動かなくなりました。

男の子は体についた絵の具を洗うためにお風呂に入り、臭いのでお外に出ました。 誰もいない施設には帰りません。

 

男の子は元々一人でした。

 

養父は狩人。 第5話 「責任」

なんてこったいつもこうだ。

悪い予感だけ、よく当たる。

《石泣村》

「村長!早くこっちに!!」

《標的》

《穢》

「ひええ!」

村長は転がるようにして倒れながら、なんとか間一髪犬神の爪から逃れ蘭化の足元へとたどり着いた。
それに反応し蘭化は村長の前に付き、犬神は獲物をの心臓を狩る為の二撃目を放つ体制に入り右前足を振り上げる。
瞬間、蘭化は懐に突進し、銀のナイフを左の逆手で抜いた。

ドスリという手応えが蘭化の肩に伝わる。

ナイフは犬神の胸を抉り刺し、標的の動きを止めた。
瞬き一つ程の間の後、犬神の身体は崩壊を初める。

「ふぅ…」

ため息をついた束の間、また瞬時に元の形を取り戻し始めた。

「っ!?」

ゴリ、という衝撃、感覚。焼けるような痛覚が蘭化を襲う。

左腕が噛み砕かれた。鮮血が飛び散る。

「ひいっ!」

村長の悲鳴。しかし、蘭化は四肢の一部を噛み砕かれようと心を乱さない。

完全に油断した。崩壊からここまで早くこの場に戻るとは。この前の地縛霊の比じゃない…いや、こいつは…

ナイフを犬神の下顎に腕ごと差し込み、崩壊の一瞬の間になんとか左手を抜き取り追撃を逃れるため3歩ほど後退する。
村長は裏口のドアから外に出ようと横に走る。。

「神田村長!北側だ!北側の森に逃げる!」

「わ、わかった!」

犬神の頭部は既に修復していた。

そうか…やはりこいつ…。

ピリリリ ピリリピッ

「…もしもし」

《絢人、お手柄だったみたいだぞ。》

「ら、蘭化さん?どうしたんですか?いきなり。」

お手柄?いったい何のことだろう。さっきの情報が役に立ったのかな?
さっきの電話からまだ数刻もたっていないというのに。

《緊急事態だ、今襲われている。》

「えっ?ちょっと待ってください、どういう事ですか!?襲撃は…」

襲われている!?犬神に?一体どうし…

《神田村長は繋がりがあった!石泣村とな!標的は村長だ。》

「そんな…」

刹那、何かが割れる音、獣の唸り声が絢人の鼓膜をつんざいた。

「!!蘭化さん!」

そうだ、向こうは襲われてるんだ。何もそんな時に僕なんかに連絡しなくていいのに

《絢人!要点だけかいつまんで説明するから聞き逃すな!リオにもちゃんと伝えろ!いいな!》

「!」

《いいか、この犬神は動物霊でも妖怪でもない、おそらくは最初期のものっ…》

床と重く硬いものがぶつかったような音
絢人の腹部や胸部にざわざわとしたものが広がる

「蘭化さ…」

《黙って聞け!お前の言っていた呪術!それがこの犬神の正体だ。》

「!」

 


「今発動した理由、石泣村と繋がりのある人間を襲う理由っ!」

ナイフで犬神の左前脚を切り飛ばし、目線で狙われる部位を判断。左肩!回避!

              コイツ
「それらは、わからない。だが犬神はここに現れ、村長を襲ってしまっている。」

袈裟がけに抉るような犬神の爪を飛び越えるように前転で躱しつつ肘で着地、そのまま回転で衝撃を逃がす。

蘭化はこの回避で、村長と犬神の間に入る。

犬神の左前脚は既に再構築に入っている、やはり速い。霊や妖怪ではありえない程に!呪術、それも力が強いものだ!
これ程のものなら、自ずと全容も絞れてくる。

「ただ一つ確かな事は、術式の場所は間違いなく石泣村だという事。絢人……」

『俺は今、抵抗することで精一杯だ。』

 

 

「そ、そんな」

精一杯って、どうしよう、蘭化さんがっ…

絢人の中では、焦り、恐怖、絶望、拒絶…そんな想いが渦巻き、心臓は今にも凍る程に冷めきってしまいそうだった。

《…絢人、お前に依頼する。石泣村に行って呪いの元を絶つんだ。》

「えっ」

え?       僕が? 

鼓動が速くなる

《初仕事だ。気張れよ。「依頼者が死ぬ前に呪いの元を絶て」。》

「ええええ!?」

ちょ、ちょっと待って、そんなっ

「ぼ、僕そんなこと…」

《やるんだ。絢人。お前を信じる。『今、できるのはお前だけだ。』》

「っ………!!」

《頼んだぞ…絢人》

通話は終了した。 絢人にとって、人生で経験した中で一番永く思えた時間だった。
電子音が反響する中、絢人は噛み締めていた。

責任
託された。生死を。

蘭化さんが、知り合って、一緒に行動すようになって、見習いになって…触れ合って、まだ3日ともたっていない僕にそれを託した。

無責任?違う。蘭化は僕をー、あの夜の、僕の決意を信じてくれたんだ。

《立派な狩人になる。》

黒道絢人  齢17の少年。社会に未だ進出していなかった彼は、生まれてこの方、責任という責任は背負ったことがなかった。そんな絢人が、初めて託された責任。人の命。富、名声…様々な者が行き交う世の中で、どんな生き方をするかによるが…この世で最も重い物だろう。
そんなものを「託された」!
地面が歪むような緊張!逃避したくなるような重圧!しかし彼はそれらから逃げなかった。
混乱する頭の中で、絢人には揺るがない思いがあった。やりきる。絶対に答えてみせると。

「……」

携帯電話を持ったまま、数瞬呆けていた。

「ど、どうしたの?」

電話に応答していた絢人の反応に驚いたのか、リオが様子を伺う。先ほど起こしたのだ。眠気などはとっくに覚めてしまったようだが。
絢人は今さっき聞かされた事を多少テンパり気味で、なんとかリオに説明した。

「大変じゃない!急いで向かわなきゃ!!」

事情を聞くと、リオは絢人以上に慌て始めた。

「でも、車はありませんよ!?ここまで結構時間かけて来たんですけど…」

焦る絢人を両手の掌を向けて制し、リオは深呼吸をして自分を落ち着けた後、こういった。

「伊達にここに住んでないわ、抜け道があるの。そこを使えば15分もすれば道路に出れる。」

「そ、そうなんですね!」

「あ、ちょっとその前に呪術を解くための道具とかが要るわ。絢人君はそれを、私も準備してくるわ!」

「は、はい!!」

そう言うとリオは台所に向かっていった。

緊迫してたから返事しちゃったけど、呪術を解く道具ってどこにあるんだ!?あとなんで台所に…いや今は道具を探さないと。えっとたしか犬神の儀式は犬の生首を使っていたから……そ、そうだ!

絢人の足は資料室に向かっていた

 


ナイフを持った右親指でペンダントを口に入れると宝石部分を歯で噛み、通話機能を停止させる。ふぅ、と一息挟んだ後、蘭化は目の前の獲物に話しかけた。

「さあ、来いよワンちゃん。散歩だぜ。」

犬神の方を向いたまま後ろに逃げつつ、ナイフを左腕の内袖にポケットに挿し入れ仕舞うと、右腕を振る。
すると、遠心力により袖の内に仕込まれた拳銃が既に撃つ構えの蘭化の掌に滑り降りる。

そのまま、向かってくる犬神の右肩、左後ろ足の腿に銃弾を撃ち込んだ。

彼が今使用している銃…正確に言えば銃弾にだが、これらには既に試用している銀のナイフと同じような特殊な刻印が掘られ、清められている。
これにより霊的な存在に干渉可能で、浄化の印により邪なるものを浄化する事ができる…  が、

《ガアアアアアア!!!》

本来この銃弾はアタッチメントのないリボルバー式の拳銃で撃つべき代物である。
加えて今付属されている、日本では必須となる消音機には弾丸に接触する際に擦れ、筋が入ってしまい更に効果を半減してしまう。

やっぱり効果は微妙…だが

蘭化は胸元から透明な液体の入った小瓶を取り出すと、自分たちと犬神の間を断絶するように、辺りに逃げながら小瓶の中身を振りまいた。

「さ、指原さん何を…」

謎の行動に、村長が足を止める

「いいから!そのまま森に向かって走るんだ!」

村長の事を庇うように体は犬神の方に向けたまま、後ろ向きで走る。
裏口のドアから十数歩進んだ時にはもう犬神は立ち直り、今にも跳びかろうとしている。
瞬間、蘭化は地面に向けて引き金を引いた。

 

 


「えーと…聖水と…金槌と…灯油、マッチ…!」

「絢人くん、早くー!」

下の階からの声がドア越しに聞こえる

「今!今行きます!!」

よし、これでいい。きっと。

資料に書いてあった物をビニール袋に入れ、急ぎ足で下に降り、玄関から出る。

「お待たせしました。準備、できました。」

「オッケー、ちょっと待って。」

リオは扉の前にある青い石…扉霊石を取り、バッグに放り込む。
するとほかの石も発光を止め、家はまるで安っぽい自主制作映画のCGめいて瞬く間に透明になり、消えた。

「よし、じゃあ行きましょう。こっちよ」

そう言うとリオは家の裏にある、獣道のようなを進んでいった。絢人も後ろをついて行く。

「リオさん、道路ってバス停とかあるんですか?」

なれない山の小道を進みながら、絢人はリオに問うた。いや、無ければ話にならないとは思っていたが、確認しておきたかった。

「無いわ」

絢人の周りの空気が固まる

「…え?」

「タクシーを待つしかないわね。たまーにいるのよ。」

衝撃的な事を軽々しく言い放つリオ。えっ、蘭化さんが危ないかもしれないのに…?いや、リオさんに言ったって、でも、えっと、

「じゃあ、つまり、……運?」

「そうなるわ」

気が遠くなりかけた。
ここに来て、運とは。

落胆する絢人を見てリオは明るい笑顔で、

「大丈夫よ!今日は居そうな気がするもの。それにこれが今私達が有する最大最速の移動手段なのよ。」

はぁ、とため息が出る。

「そう、ですけど……そんなにうまくいきますかね…」

 

いった。

「……あった。」

森を抜けると、目の前の道路には茶色のタクシーが空車の文字を光らせながら佇んでいた。

「ほらやっぱり!うまくいったわ!Heyタクシー!乗せていって!!」

リオは笑顔で絢人の方を向くと、大きく手を振りながらタクシーに向かって走った。

 

 

蘭化が発砲した弾丸は、犬神の足元に正確に着弾した。
正確には、彼が撒いた液体に。

瞬間的に着弾箇所から青白い炎が舞い上がる。
それは蘭化が撒いた液体を伝い広がり、犬神の前、後、左、右に轟々と壁を形成していた。

犬神はそれを突っ切ろうと前足を入れたが、その後苦痛を感じ取れる唸りをあげ、弾かれる様に距離をとった。

「指原さん!!火、火なんて放ったら、わしの家が燃えちまう!!」

「落ち着いて村長。あの炎に熱は無い。家には引火しない。」

「え、そうなのか?じゃああれは…」

「聖油…といってもかなり特殊な聖油だ。強い魔除けと浄化の効果を持ち熱を感じると青白い炎を灯す。」

元々犬神は穢を食い浄化する妖怪で、魔除けは効かない筈だ。
…あの犬神は呪術で作られた最初期の物。それもあの殺気、恐らく原動力は憎悪!そうなれば悪霊と大して変わらない。

「あいつは浄化の刻印に微弱だが損傷を受けた。だからあれが効くと踏んだんだ。」

青白い炎は犬神の四方を取り囲み、一向に収まる気配を見せない。

「これで時間は稼げた…。あの炎は数十分じゃびくともしない。が、のんびり説明している暇はあまりない。森に向かいましょう。」

「そ、それもそうじゃな!急ごう。」

こうしちゃおれん、と走り出す村長。さっきまで紙束を運ぶのにひいひい言っていたといつのに、人間の生に対する執着は強い。
蘭化は腕を縛り応急手当をすると、村長と共に北に向かって走り出した。

 

 

「いやー助かったわ。ありがとうね。」

タクシーに乗り込んだリオはシートに腰掛け、運転手にお礼を言った。

「は、はあ。どちらまでですか?」

突然お礼を言われた運転手はすこし動揺しながらも、お客に行き先を聞いた。

「石泣村までお願いします。」

タクシーに乗り込みながら絢人は答えた。
運転手の表情、動きが一瞬固まる。

「そこは、もう」

「人はいない跡地なんですよね、でもどうしても行きたいんです!急いでいるんです。お願いします。」

絢人は不自然に思われている事を分かっていつつも、焦りながら催促した。

急がないと、蘭化の身になにか起こってしまうかもしれない。

「……はあ。」
運転手が顔を渋くする

「あ、もしかして昔だから道わかりませんか…?」

やばい、もしそうだとしたら最悪だ。一瞬目冷や汗をかく絢人。
しかし、運転手は少し間を置くと、こう言った。

「…ご安心ください、覚えていますよ。」

 


「私は、そこの出身なんです。」


つづく

養父は狩人。 第4話 「襲来」

 

 

「おいおい、なんの騒ぎだい。」

一人の男が猟師風の男と、農家風の男に訳を訪ねた。
いつも通る道の真ん中に、人だかりができていたからだ。

人だかりから少し距離を取っていた二人のうち、農家風の男が答えた。

「警察だよ」

「警察?」

「ああ。なんでもここ最近起きてる猟奇殺人の件で、うちらに聞きたい事があるんだとよ。」

聞き返された男は興味津々といった様子で、人だかりを見つめていた。

「はあ~、猟奇殺人っていったら、あの何かに齧られたみたいな死体のことかい。」

訪ねた男も載っていた自転車を止め、それに加わった。

「猟奇殺人なんて大げさな、いいか、あれはクマの仕業さ。冬眠できないクマが暴れてるんだ。」

そう言いう猟師風の男も、目は先の二人と同じように興味を帯びていた。

 

「刑事さん、……待っとったよ。」

老人がしゃがれた声で、刑事に歓迎の言葉を述べた。

「どうも、ご協力ありがとうございます。刑事の指柄です。」

刑事は、形式ばった挨拶でそれに答える。

二人の周りには何事か、と野次馬と化した村人たちが取り囲んで、訪問者の顔を一目みよう、と騒ぎ、それを聞きつけた村人が…と雪玉のように大きくなっていた。
想像できると思うが、かなり喧しい。

「んん…どれ、刑事さん。外は寒いじゃろて、話はわしの家で聴こう。ほれ!皆、話は聞こえたじゃろ。解散じゃ!」

老人は「神田」という表札が貼られた家に警察官を通し解散を呼び掛ける。その日は比較的陽気だった。

 


指原は老人宅の奥の間に通された。
十五畳ほどの和室だ。中央にある背の低い木のテーブルの足には、滑らかな波状の溝が掘ってある。
そのテーブルの上座と下座に、それぞれ座椅子が置いてあった。

「…『狩人』の指原さん…じゃな?いや、それも偽名じゃろうが。」

座椅子に腰掛け、重要そうな面持ちで、話を切り出す。

「はい。秘密主義なものでね。」

指原は淡々と、少し冗談めいた口調で答えた。

「……まさか貴方がたの世話になる時が来ようとはのう…」

すこし遠い目で、老人は呟いた。
話には聞いていたが、本当に霊なんて物が、それを退治するものが本当に居るとは。

「殆どの方が、そうおっしゃいますよ。」

指原はそんな感情を読み取ったかのように、ニコリとしながら言う。

「不幸じゃわい。」

ようやく茶が運ばれてきた。


「例の件の事……もう依頼の書類に詳しく書いたはずじゃが、何か不備があったかの?」

「ええ、神田さんから送られた遺体や現場の写真を私どもの資料と照らし合わせました。今回の怪異の正体は犬神で間違いないでしょう。」

「しかし…気になる点が幾つかあったので、現場に出向いた次第です。」

ズズ、と出された茶を啜りながら、指原は答えた。

「と、言うと?」

「本来犬神は人を…というか、肉を喰らわないのです。」

それを聞いた老人は

「まさか」

と目を丸くした。

「……私の知る中では、ね。」

自分もまだ消化不良のある指原は、正直にそう答えた。確証がないのだ。
だが、その道に関しては全くの『無知』である老人を信じさせるには十分な信評性を持ち合わせていた。
だが

「しかし…亡骸は確かに抉られておった…それに」

「小さな水晶の塊が、あった。と」

犬神は、穢れを贄とし、それを喰らう。
その時、消化された穢れは純粋な物として排出される。
主に水晶や氷、水などだ。それは特別な加護を持っている訳では無いが、あらゆる面で純粋な塊とされていて、悪霊は近寄ることすらままならない。
これには自分の領域に悪霊を入れないためのマーキングという説があるが、審議は定かではない。
そんな水晶が遺体のそばにあったというのだ。
これの存在で、正体はほぼ確定的だった。

「そうじゃ。その事を聞いて、あんたはその…犬神だと。」

専門家がおかしい、普通ではないかもしれない、と言っているのだ。
本来怪異に遭遇し、それだけで生きた心地がしないというのに。老人が不安がるのも無理は無かった。

「ええ、そうです。…それに、今回のは犬神で間違いはないでしょう…。」

「だからここに来たのですよ、神田村長。」

「指原と名乗る男」は、青い目をしていた。

 

《三時間ほど前》

 

目が覚めた

携帯のアラームに思いのほか強く鼓膜を叩かれたせいか、目覚めが悪い。
次はもう少し耳から離しておこう。と考えながら、どこか重い頭を上げつつカーテンの向こうを見た。
黒い空に淡く紅色がグラデーションをかけている。まだ明け方だ。午前3時に設定したアラームはしっかりと役目を果たしてくれたようだ。
んん、と喉を鳴らしながら背中を伸ばすと、ずきりとした痛みで喉が渇きを示した。この季節は寝起きが辛いな、と思いながら道中のコンビニで買ったペットボトルの茶を流し込む。
多少は和らいだがまだ擦った様な痛みが残っている。早起きは慣れっこだが、やっぱり冬は好きになれない。…でも寝苦しい夏も嫌いだな。
わがままな自分の思考に若干呆れつつ、ベッドから体を出し支度をする。支度といっても寝る前に大体済ませておいたので、確認だけしておく。

確認を済ませ、おそらく下で寝てるであろう二人を起こさないようこそこそと家を出る。

「ふー。」

ここでの愛車のプロボックスに乗り込み、荷物の入った鞄を助手席に投げ置く。
長旅に備えての小休止として煙草を一本、吸う。
いつも通りだ。

キーを差し回すと、静かな暗闇にエンジンが唸った。


車は夜道を走っていた。

田舎は街灯がほとんどない。田んぼの近くではハイビームでも暗く感じるほどだ。

どうも妙だ。
それが蘭化の行動の理由だった。

いくら形跡や目撃証言が犬神に酷似していても、犬神が肉を喰らうなど聞いたこともない。
そんな蘭化の経験が、この件は妙だ、と言っていた。
だが、一方で第六感というか、狩人の勘、というべき物が、これは本物だ、とも言っていた。

そんな二極の考えに、蘭化は昨夜の時点から悩まされていた。
そして双方に挟まれた結果、はじき出されるように行動に移ったのだ。

やっぱりこの目で確かめるのが一番早いだろう。

という答えが蘭化の中で導き出された結果だった。
実際、この考えは危うい。死人が出ている事件で、詳しい事がなにもわかってない状況で単身で現場に入るのはマズい。
だが、だからといってリオは非戦闘員もいいところ。絢人にいたっては言うまでもない。
蘭化は一人で情報収集をするしかなかったのだ。

幸い現場はリオの家からはそう遠くない。大体3時間ほどだ。近いからリオの家に寄ったという言い方もできるが。

「なにか見つかればいいが」

そう呟きつつ2本目の煙草を咥えた。


―――――――――――――――――――――――――――――


「んん……」

窓から指す朝の日差し
小鳥の声が奏でる小さな合唱

まさに絵に書いたような清々しい目覚めだ。


資料の紙が周りに散乱し、フローリングに寝たためか背骨を痛めてなければ。

「寝ちゃってたのか…」

そう、絢人は呟いた。寝起きのせいか、まだ若干呂律が回らない。

欠伸をこらえつつ、ムクリと上体を起こす。遅くまで起きていたせいか、まぶたがなかなか軽くならない。
目を擦りながらパソコンの置かれた机に視線を伸ばすと、リオさんが突っ伏してすうすうと寝息を立てている。
眠くて……考えがまとまらないなあ。

とりあえず、洗面所を借りよう。
重い体を持ち上げ、ドアに向かった。

 

 

「えっこ、えっこ……」

ドサリ、と音をたてて紙の山が机に置かれる

「これで、全部ですか?」

自分の持ち分を運び終えた蘭化が村長に尋ねた。
ふぅ、と一息ついた神田は「最近の若い者は配慮が…」と愚痴をポロッと零した。

「ああ。うちにあるのはこれで全部じゃ…あててて。」

腰を押さえつつ、そう答えた。

「そうですか、じゃあやりますよ。共通点の洗い出し。」

ため息を吐きつつ気を引き締め直した様子で、資料の山に手をつけ始める蘭化。
村長はキョトンとした様子でこちらを見ている。
「何を?」と顔に書いてあった。
その視線に気づいた蘭化は、

「自分の村の一大事何ですから、少しくらい手伝う義務があるんじゃないですか?村長。」

と半ば暴論じみた説得により、協力者を獲得した。
村長は強制的にこの作業が決まった時、薬箱の場所を思い出そうとしていた。そのくらい骨の折れる仕事だと、目の前に山積みにされた資料から想像することは容易だったからだ。

 


バシャッ
と、ぴりっとするような冷たい感覚が肌を突き刺す。
念入りに目尻の辺りを擦り、傍にあったはずのタオルを手探りで探し、顔を埋めた。

「ふぅ。」

最後にこめかみから顎の横の辺りまでを拭き、目を開ける。
目が覚めた。それに比例してか、頭の中も少しシャッキリと霧が晴れたようだ。
だが昨夜は何時まで起きていたか、覚えていない。
とりあえず今が午前10時と言うことは携帯が教えてくれた。

「とりあえず…片付けるかなあ」

洗面所を出て発した第一声は、リビングに散乱した紙に吸い込まれるように消えた。

「……ん?」

今さっき言ったことを実行しようと、何気なく拾った紙。その紙から何故か目線が離せなかった。

「……」

まるで取るべくして取らされたような、そんな気がしたのだ。それも、強烈に。
吸い込まれたかのようにその資料の文に目を這わせる。

「……これって…もしかして……」

絢人の足は2階に向かっていた。

 


流石に住人全ての出身、学歴、職業、個人情報を纏めるのはなかなかに骨の折れる仕事だった。
ここまでの成果を見ると、自然とため息が出てきた。
神田村長はストレスのせいか、胃薬を飲んでいる。…名簿にある者の資料を順番に持ってきてもらっただけなのだが。

「収穫ありだ…!」

満足げに蘭化はそう言った。
が、心の奥ではまだ疑問や違和感と言ったものが残っていた。結局肉を食う理由などはわからずじまいだったのだ。


「ま、とりあえずリオに連絡だな…」

携帯電話を手に取り、電話帳からリオにかけた。

 

ガチャッ!

「蘭化さ…!…ん?」

報告の為に訪れた部屋はもぬけの殻だった。

「あれ…おかしいなあ。たしかこの部屋で…」

もしかして一人で調査にでも行ったのだろうか?そんな考えが頭に浮かんだ。
さすがに…あの人なら全然ありうるかも。
そもそもここまでなにも言わずにつれてきた人だし…

とりあえず携帯電話を手に取り、蘭化にかけた。
次の瞬間……目の前の机の中でタイミングバッチリのコール音が聞こえた。

もしやと思い机の引き出しを開けると、案の定というか何と言うか、携帯電話が六台ほど入っていた。その内の一台が子気味のいいコール音を出しながら振動している。

「…うそぉ……」

ここまでするか。

どうしよう、と頭を抱えている時、下から別のコール音が聞こえてきた。

「…固定電話かな?」

とりあえず目の前で鳴っている物より優先度は上なので、急いで下に向かった。


「もしもし?俺だ。」

急いでとった受話器から、ある程度聞きなれた声が響いた。

「蘭化さん!どこ行ってるんですか!?」

「えっ?ああ、絢人か。まあいい。現地に向かって直接調べてた所だよ!プロ意識ってやつだ。」

「プロ意識って…」

なにも伝えてくれなかったし…ダミー?の携帯番号しか教えてくれてなかったし、そもそも固定電話にかけてきたし、もしかしなくてもこの人僕に期待全くしてない。

少しのいらだち、というより若干の落胆を感じつつ、それよりも大きな興奮で言う。

「蘭化さん、それより1つ分かった事があるんです。僕が見つけたんですけど!」

「お?奇遇だな。こっちもだ。そっちから聞かせてくれ。」

「はい…えっと…犬神って、昔は呪術の一種でもあったみたいなんです。」

「…ほう。」

「なんでも犬の生首とかを使って儀式を行うらしいんですが…えっと、つまり人を殺す為に使われた事があるって事なんです。妖怪としての犬神の始まりでもあったとか…」

「…ご苦労。結構いい感じの情報だ。俺でも知らなかった。なかなか頼れるじゃないか絢人。」

「えへへ…そうだ、そっちはどんな事ですか?」

褒められた、嬉しい。なかなか慣れないむずがゆさについ笑いが出てしまう絢人。

「被害者の共通点が割り出せた。要因はおそらくこれだろう。被害者の 近藤美紀、田中大吾、西裏佳子…らは全員同じ村から来た者達だと言う事。調べていくうちに、3人の血族は深いところで付き合いがあった事。」

「同じ村…。」


「そして…その村の出身の者はこの村にはもう居ないと言う事もわかった。おそらく、襲撃は打ち止めだ。 」

「……えーっとつまり…進展ありって事ですかね?」

「ああ。「かなり」進展ありだ。…とりあえずリオ起こしてこのことを伝えてくれ。どうせ寝てるだろう?」

「は、はい。」

「今から戻る。じゃあな。」


ツー、ツーと言う音が耳に響いた途端、少し力がぬけた。

もう標的になりそうな人物がいないってことは、もうこの事で苦しむ人がいないって事だろう。

もうすぐ終るんだな。


自分は何か――役に立てたんだろうか?

 


電話を切りふうとため息をつくと、蘭化は村長にお礼を言う、つもりでいた。

村長がもう一人ぶんの資料を持ちながら、そこに立っていた。

「いやあすまんの、ついうっかりワシの分、わすれとったわ。」

猛烈に嫌な予感が蘭化を襲った。いつもの、狩人の、感だ。

「なにか電話で話しておったの、聞こえんかったが…。」

「…すいません村長、ひとつ聞きますが…出身は…?」

「ん、石泣村じゃよ。ここの娘じゃったかみさんに惚れてのう、婿入りしたんじゃ。」

村長がその言葉を口にした時、なぜか嗅覚が何かを感じ取った。

獣の匂いだ。

「旧姓はたしかニシウラじゃ。東西の西に、裏表の裏。昔の事で忘れとったわい。」

「村長っ!」

次の瞬間獣臭が部屋に広がったかと思うと、テーブルに獣の爪痕が走り、湯呑が四散した。

狂犬が、来た。

 

つづく

養父は狩人。 第3話 「犬神」

 

「ところで…今日は何を?」
 
田舎の無駄に広い田端を走る車内で、絢人は蘭化に問いかけた。
 
「狗狩りだ」
 
長旅の疲れを象徴したかのようなあくびを噛み殺しながら、運転手は答えた。
聞きなれない単語に絢人は少し混乱する
 
「…ワンちゃんをですか?」
 
混乱を解決しようと咄嗟に言葉が出てしまう。
 
「プッ」
 
一瞬の間の後、それを聞いた蘭化が噴き出す。
 
「な、なんですかっ」
 
「お前その年でわんちゃんって」

口元に手を当て、口角を上げ目を細めながら振り返る蘭化。明らかにからかっている表情だ。
 
「い、いいじゃないですかっ。」

「好きに呼んでも…わあ!前!前!」
 
呟くような些細な反論は、直ぐに大きくなり別の言葉に変わった。
絢人の言葉に突き飛ばされる様に正面に視線を戻すと、眼前に猛スピードで塀が迫っていた。
「うおっ!?……!?」
 
慌ててハンドルをきり、片輪が上がる。
「わわっ」

車体が大きく傾きドリフト走行のようになりつつもなんとか角を曲がりきる。
車の角度が元に戻るのと同時に、蘭化は安堵の声をを発した。

「ふー…」


絢人もホッと胸をなでおろす。が、すかさず蘭化に注意した。
 
「ち、ちゃんと前見て運転してくださいよ!」
 
「…わかった」
 
蘭化は少し腑に落ちない様子たったが、すぐに運転を再開した。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
「あ、そうだ。さっき言ってた狗狩りってなんのことですか?」
 
思い出したように、ついさっき聞き逃した答えを催促する。
 
「文字通りだ、ワンちゃんを狩るんだよ。まあ今回は向こうが猟犬だがな」
 
ますますわからない。なんでこうこの人は質問の答えに謎を持ってくるんだろうか?
ってういかまだワンちゃん持ってくるか!
…そのくらい自分で考えろってことかな?
 
「だから…その、猟犬ってのはなんですか?犬…っていったらケルベロスとか?」
 
脳裏に三つ首の犬の化物か浮かぶ。
 
「いや、ケルベロスはどっちかと言えば番犬だ。それに西洋系の魔物。ここは日本だぞ?」
 
なるほど、確かに地獄の番犬ってよく聞くもんな。でもそこまで、何言ってるんだ?みたいな感じで言わなくてもいいのに。

絢人は少しムッとした。

…っていうか半分冗談だったのに、マジめに返されると困る。ケルベロスも実際に居るってことだよね。
 
「……じゃあ、その猟犬っていうのは?」
 
悶々とした感情を少し表しつつ、蘭化にクイズの答えを求める
 
「ああ、犬神だ。」
 
「犬神?」
 
頭に浮かんだ疑問は、そのまま口を滑り抜けてきた。
犬神、犬神ってなんだろう。神様ってからには、結構貫禄とかあったりするんだろうか?でも狩るって言ってたしな…?
 
「 今回はいつもとケースが違うらしい 」
 
…なんでこの人はこう謎を残すのかな、やっぱりいまいちわからない。もしかしてこの人説明苦手なのかな?

蘭化の相変わらずの説明に絢人はちんぷんかんぷんだ。次第に深く考えるのをやめたようで、
『だからそのケースとか正体を聞きたいんです』という言葉を飲み込み、はあ。と相槌をうった。
 
 
 

強い車の揺れで目が覚めた。体の節々が痛い
車窓の向こうに広がる空が紅色に染まっている。ホテルを出発してもう何時間経っただろうか。ふと車のデジタル時計を見ると午後六時半を示していた。
 
「蘭化さん…あとどれくらいですか?」
 
寝ぼけ眼を擦り、身を起こしながら運転手に尋ねる。
 
「お、起きたか。あと2、3分だぞ」
 
タイミングいいな。と付け加えて蘭化は言った。
やっとここからから開放される。と、自然とため息が出そうになった。なんせ五時間は車に揺られていたんだ。
…それにしても随分深い森の中だ。さっきから続くこのひどい揺れも、かなり道が荒れているのを物語っている。
依頼者の家ってどんな所にあるんだ…?
まさかこんな森の中じゃないよな?
 
「ふーっ、…着いたぞ」
 
蘭化がやりきったと言わんばかりに背伸びをする。絢人の不安の中、車は森のど真ん中で停車した。
絢人はまた混乱した。
 
着いた?えっ?まだ森の中じゃないか。家どころか人工物すら……
 
「こ、ここが依頼者の家ですか?」
 
蘭化に疑問をぶつける。
 
「依頼者?…いや、違うが。」
 
「へ?」
 
予想外のことが起きすぎて状況がつかめない。依頼者の元でもない森の奥深くに、五時間もかけて来たのか?
 
「ちょっと待っ…じゃあなんでこんな山奥に?」
 
「下準備だよ。今回は結構骨が折れそうだから、友人に手伝ってもらおうと思ってな」
 
あれ言ってなかったっけ?と頭を掻きながら不真面目そうに言う蘭化に、初耳ですよ。と若干苛立ちと落胆らを露わにしながら食い気味に訴えた。

やっぱり少し抜けてるというか、なんというか。……頼りないな、この人。

絢人は長旅からの解放とは別のため息をついた。まだ現場ではない、ということへの落胆でもあったが。
 
ん?でも…
その友人さんって何処にいるんだ?少し開けてはいるけど周りは木ばっかりだし…
周りを観察しても、中央に円状に、規則的に置かれている石以外には人工的な物は見当たらない。…あの石がなにかある?
 
「あの…」
 
もう一度蘭化に問いかけようとした時、蘭化が青い石のようなものを鞄から取り出し、中央にある石の羅列の、真ん中に置いた。
 
「蘭化さん…?」
         ・・・・
「まってろ、今から出てくる」
 
そう言うと今度は小瓶を取り出し、蓋を開けて中身の液体を石に垂らす。
すると周りの石も真ん中の石のように青くなり、次第に光りだした。
夕暮れに染まる空の下で、青い光があたりをを照らす光景はなかなか幻想的だった。だが、それよりも絢人の目を奪ったのは、その周りの変貌だった。
扉が、壁が、屋根が、窓が、家が。石の円の奥に、初めは朧げに、やがてハッキリと現れだしたのだ。次第にそれは材質の木材が、温かみを感じれるほどになっていた。
 
「……。」

 

絢人は『開いた口が塞がらない』を体現した。
 
「ほら、ぼーっと突っ立ってないで入るぞ。」
 
全く気にしようとせずさっさと家に入ろうとする蘭化。
 
「ちょ、ちょ、ちょっと。」
 
「ん?」
 
「いや……こ、これなんですか?」
 
未だ目の前で起きた現象を信じられないでいる絢人。目の前に『出現』した家を指さしながら、やっと出てきた言葉で蘭化に目の前で起きた現象の説明を求める。
 
「んぁー…、とりあえず入ってから話していいか?」
 
疲れを訴えるように欠伸をしながら、家に入ろうと催促する蘭化。
 
「は、い…」
 
絢人の了解を得、悪いな。と言いながらノックハンドルを掴み、コンコンと軽い音を鳴らした。
 
 
「何?」
 
暫くしてドアから声がした。女性の声だった。
 
「俺だ、九峰だ。少し手を借りたい。あとベットも。」
 
ドアの向こうの女性は言葉を聞き取るとすぐドアを開けた。
 
「どうぞ、入って!」

 

 

家の住人であろう女性は、青い瞳、整った顔立ちに少しぼさっとしたブロンドの髪を後ろで結び、黒縁の眼鏡をかけていた。
歳は20前半程といった感じの風貌をしていた。

うわ、初めてテレビ以外で外国人を見た。日本語ぺらぺらじゃないか、すごいなあ。だらしなさそうだけど綺麗な人だ。と絢人は思った。


 家の中に通されリビングに向かう途中、結構世話になっててな、銃弾の作成や情報の収集をやってもらってる。と蘭化は言った。
リビングには一台のデュアルディスプレイ型のパソコン、大量の本棚、ホワイトボードなどがあった。
どうぞ、座って。と言われ紙が散乱している木製のテーブルにつく。

「へえー…この子が黒道さんとこの…隠し子?だっけ。」

「アタシ、リオ。リオ・メリオスよ。よろしく。」

「孫だ。爺さん元気すぎんだろ!」

 女性の自己紹介に、すかさず蘭化がツッコミを入れる。あら、そうなの?とお土産のコンビニの惣菜パンを齧りながら答えるリオ。絢人は彼女の想像を超えただらしなさというか、いい加減さに苦笑いをしていた。

この人が蘭化さんの友人か。

「あ、そうだ。あの、さっきのこの家がいきなり現れた…っていうか、まず石が光ったりだとか、色々起こってて何がなんだかなんですが……」

突然のボケに一瞬忘れかけたが、家の外で聞いた問いを再度聞く絢人。

「ああ、扉霊石《ヒレイセキ》のことね」

ツナマヨパンを食べ終えたリオが、袋をクシャクシャと丸めながら言った。

「ひ…ヒレイ石?」

「扉に霊と書いて扉霊。様々な役割を果たしてくれる便利な石よ。入口をつなぐ他に物を仕舞っておいたり、伝言を記録したりできるわ。それらの効果を利用するのに共通するのが、清めた水をかけることよ。」
リオは少々早口気味に説明した。この時点で絢人の疑問は充分解決していたのだが、ここでリオの口が閉じることはなかった。

「そもそもなんで扉霊石って言うのかというとそれは昔強い霊を封印するための方法の一つとして使われていたからという説があるわ。異世界への入口をつなげてそこに霊を閉じ込めたのね。」

「そ、そうなんですか」

「でもこの説にはアタシあんまり賛同していないの。そもそも扉霊石の原理っていうのは石に込められた霊力が清められた水に反応して起こる反発エネルギーを利用していると考えているの。」

「あのー、リ、リオさんっ…」

「そもそも霊力が道具に使われ始めていたのは西暦1780年代で、さっきの説での昔というのは1760年代後半からと言われているわ。だいたいナポレオンが生まれる10年くらい、前かしら?つまり時間軸的に大幅に矛盾しているのよ!!でもこの扉霊石の原理は未だに解明されてないし、私の説も完璧には証明出来ないんだけど、でも――」

「おいリオ、その辺にしとけ」

怒涛の説明攻めに涙目になっていた絢人にようやく助け舟が来た。

「あ…ああ、ごめんね。アタシこういう話になるとついつい熱くなっちゃって……」

照れくさそうに顔を染めて絢人に謝罪するリオ。話しぶりからして、どうやらとても研究熱心のようだ。ここに着くまでの廊下に置かれた本棚の数や、ここに散乱している資料もひしひしとそれを感じさせる。

「い、いいですよ!おかけで詳しく知ること出来ましたし……でも次は少し手短にお願いしますねっ」

悪気はないようなのでフォローするも、もう一度同じような目にはあまり会いたくないので絢人はやんわりと釘を刺した。

 


「人を喰らう犬神ねぇ……」

「ああ、妙だと思わないか?」

「あの、その犬神についても教えて欲しいんですが…」

本題に入ろうとする二人に、絢人は置いてけぼりになるのを防ぐため説明を求めた。

「犬神ね!犬神は…あっ…えー確かそっちの本棚の…上から4番目の段の右から13番目の本の、第4項目の23頁目に書いてあるはずよ。」

リオは自分の説明だとまた長くなると思ったのか、絢人に資料の位置を伝えた。

ピンポイントすぎる指定にギョッとしつつも言われた通りの位置にある本を手に取る。
本の題名は難しい漢字の羅列で記されており、読み取ることができないが、開くと内容は現代語で要訳されているようだった。

「えーっと第四項目…二十…っ、あった…。」

すごい記憶能力…ていうか域を超えてる。

ごくり、と生唾を飲みこみながら、資料を読み進める。
その本にはこう書いてあった。

『犬神とは、西日本に広く分布する動物霊の一種である。一般的な動物霊の例えとして弧狗狸(こくり)という言葉が使われることがあるが、その狗とは別に分類される特別な動物霊である。また神という言葉が入っているが、神格化された個体は古来の一部の地域でしか記録されておらず、一般的な神程の霊力は備わっていない。性格は様々で、温厚で人間に取り付き守護するものも居れば、獰猛で他の霊に危害を及ぼすものも確認されている。また主に穢れを食べる傾向にあり、これを利用して狩をする狩人は『犬神持ち』と呼ばれる。また犬神に守護されている者も同様に呼ばれる。』

一通り読み終え、ふうとため息が出た。

「わかったか?」

蘭化が緑茶を飲みながら確認した。シルクハットとコートを脱ぎ、椅子に背中を預けてだいぶリラックスしているようだ。

「はい、だいたいは…」

こういった資料があると実在するものなんだって実感が沸くなあ…、とりあえず、なんで今回の犬神が『ケースが違う』って言われているかは理解できた。
穢れっていうのが何かはわからないけど…本来肉とかそういうのを食べない精霊みたいなものなのだろう。人を守る事もあるみたいだし…守護神みたいなものなのかな?

そんな事を考えながら絢人が本を元の位置に戻していると、後ろでリオがパソコンに向かって座っていた。カタカタ、となにか打ちこむ音がする。

「うーん、どうやら今回の犬神は特殊みたいよ。」

どうやら情報をまとめていたようだったリオは、内容を紙にボールペンで走り書きし、それと写真を持って持ってホワイトボードに向かった。

「今回被害に遭っているのは生身の人間のようね。近藤美紀さん、田中大吾さん、西裏佳子さん……」

リオは被害者の名前を読み上げながら、顔写真をマグネットで貼り付けていった。そして下には名前、性別、年齢、生年月日をペンで記していく。

「結構、細かいんですね…」

「霊っていうものは何かに執着することでとで力を得ているから、複数の被害者から何か関連性を見つけることで元を発見することができるの。」

被害者か。
そうだよな、この仕事って、命に関わる仕事なんだよな。
さっきまで人を食らうとか、そういう言葉では感じなかった重みが、当たり前の感情が、被害者の名前と顔を見るとズッシリと心にのしかかってきた。
この人達は、もういないんだ。

「……といっても今回の被害者の肉体的な共通点といえば、全員成人していることぐらいか…」

湯呑の中身を飲み干し、蘭化はため息混じりに言った。

「そうねぇ、やっぱり生前のことも洗ったほうがいいわね。」

リオはそう言いながらパソコンの前に戻っていった。

「よろしく頼む。俺は運転で疲れたから寝るわ……二階の部屋借りるぞ」

蘭化は席を立ち、頭を押さえて大きな欠伸をしながらコートと帽子をとると、ドアに向かった。

「わかったわ。そうそう、あなたご贔屓の西側の部屋はこの前資料室に改装したから。東側の部屋にしてねー。」
パソコンに向かい首だけ振り向いて言うリオ。

「……お前また資料室増やしたのか。」

蘭化もまた首だけ振り返り、呆れたようにリオを見る。また、と言うからには前にも増築があったのだろう。

「仕方ないじゃない、私が生きてるかぎりは資料は増え続けるんだから。ほらさっさと寝る寝る!」

「はい、はい。まったくお前の熱心さには頭が上がらないよ。」

リオはしっしっと手で払いのける動作をし蘭化を急し、それに二度返事で答えながら蘭化は部屋を出、やがて階段を上がる音が聞こえた。

「…えー、何君だったっけ。そうだ絢人君!君はどうする?」
リオは思い出したようにくるんと椅子ごと後ろに振り返り、絢人の方を向くとどうするか尋ねた。

「えっ、そうですね…僕は言うほど眠くないし……」
どうするか、といきなり言われ、うまく答えられない絢人を見た途端、リオは目を輝かせた。

「じゃあ決まりね!」

「へっ?」

突然テンションが上がったリオを前に、思わず間の抜けた声を出す絢人。

「当然!アタシの手伝いよ。よろしく頼むわよ、助手一号くん!!」

おそらく人生で初めて出来たであろう、経験0の若き助手を前に、目の前の研究者は歓喜していた。

 

養父は狩人。第2話 「はじまり」

「…え」

 

「フーーッぐftgshgdぼがっばうぐべgぐごおごおぐぐぐ」


広い部屋の真ん中で、女の人が椅子に鎖で無理やり縛り付けられ、狂ったように頭や手など動くところを必死に、動かしていた。
なにを示しているのか?本当に意味があるのか?わからない「音」を口から発しながら。
女の人、なのか?本当に人なのか?そんな風に感じるほど異質な雰囲気だった。


「っ……」


なんだこれ、これはなんなんだ? 


「絢斗、ナイフを。」


「えっ…、あ……」

ナイフ?この(カバン)中のやつ?いま使うの?何に?


「しっかりするんだ。」


「う…え、だって、亜木さん。」


なんでこの人はこんなに冷静で居られるんだ?
なんでこんなに…「慣れて」る?


「まいったな…『オボコ』ちゃんかい。」


そう言うと亜木は、胸元からひと振りの銀のナイフを取り出し、女の人に近づいた。


持ってたの?ナイフ
まさしく非現実の塊のような現実を前に、僕はそんな事を考えていた。


「ごぐjほぼうyfyぐghぎ」


「うるさい。」


亜木はそう言うと、包帯の方の手で女の頭を鷲掴みにし、女の人?から何かを「引き抜いた」。


「……っ!?」


『がぎおtsとkzzfzだごおががっがg!!!!!!!!』


引き出された『何か』はまるで頭を掴まれた事を憤慨するように、まるで包帯の手から逃れたがるように、亜木を引き裂かんと手(?)を伸ばした。


瞬間亜木の周りの床が弾け、破片と轟音と煙が辺りに撒き散らされる。


「うわっ…あ、亜木さん!?」


絢斗の声が部屋の中に響く。突風が室内に起こった。煙が晴れる、破片が飛ぶ。亜木の姿が見える。


『おおおがぐggvtttgffcっざざzggっどおざhじzsっぐ!!』


『何か』は宙に浮いた。


また来る?

なにが起こっているのか解らない絢斗も、それが亜木に危害を加えている事はわかった。


「亜木…さん、上っ…!」


混乱と恐怖にもみくちゃにされながら、精一杯の警告をした。
しかし、亜木は反応を示さずピクリとしない。


さっきの爆風のダメージ?


『何か』は勢いを付け亜木に衝突し、


砕け散った。


『ごごggっごzgzghzhざざsっはぶbhがhぐあgh』


「…心配しすぎだ。」


亜木のナイフは『何か』を捉えていた。いや、止まったナイフに『何か』突進してきただけだった。
ナイフが刺さった『何か』は、ボロボロと崩れていき、少し光ったかと思うと、消えた。


「だ、大丈夫、ですか?」


絢斗が亜木に駆け寄る。腰は抜けていなかったが、足ががくがくと震えている。


「ああ、この通り無傷だ。それより…いや、まずは仕上げだ。急がないとまた来ちまう。」


「え?仕上げ?まだ終わってないんですか?っていうか今のは」


「聞きたいことは沢山あるだろうが、あとだ。骨を探して焼く。」


亜木は絢人の疑問の波を食い入るように切り捨てると、ナイフを懐に仕舞った。


「え?」


「だから説明は後だ!行くぞ。鞄もってこい!」


そう言うと亜木は走って外に向かっていった。


「ちょっとぉ!?」

 

 

「これですか、骨って……」


絢斗と亜木の前の穴には、白骨した人骨が埋まっていた。
おえ、と始めて見る骨に気分を害す様子を見せる絢人。


「ああ。お前の中にも入ってるものだぞ?気味悪がるな。それより火だ。焼くぞ。」


「は、はい。」


言われるがまま、鞄から液体の入ったボトルと、マッチ箱を取り出し、亜木に渡した。
亜木はボトルとマッチを受け取ると、ボトルの蓋を開け骨に灯油を垂らし、マッチに火を付け投げ入れた。


「これで、完了。と。」


「はあ…」


「疲れたろ。初めて見たんだからな。無理もない。」


「あ、そうだ!仕事って、もしかしなくてもこのことだったんですか!?」


神社の時からの疑問をぶつける絢人。


「ああ。」


「じゃあ、あの免許書は…?」


絢斗がそう聞くと、亜木は、いや、「夕刻亜木と名乗る男」はニヤリとして胸ポケットから10枚ほどのカード、手帳を出した。
よく見るとそれぞれ違う名前で、同じ顔写真の免許書や、中には警察手帳などまあった。


「……あなた、一体……?」


絢斗は唖然とし、それしか言う言葉が見つからなかった。


「さっき見せたろ、霊や悪魔、呪い、魔物、妖怪。そうゆうの。それを、狩る役だ。」


バカけてる。なんだそりゃ。ヴァンパイアハンター?いやゴーストハンター?でも…


信じる他なかった。だって自分は”見てしまった”んだから。疑える事なら疑いたかった。が、
今の絢人にはそれができなかった。目の前の男が語る職を、そんなものの存在を。
今の絢人は肯定するしかできなかった。
そうなると、連鎖的にもうひとつ。


ん、まてよ?ちょっと待て。じゃあこの人に僕を預けた…


「お爺ちゃんも…?」


疑問は既に口に出ていた


そんな疑問に対し、男は大げさに手を振り、わざと演技ぶって答えた。


「そう。黒道直之!爺さんはこっちじゃあ知らない奴はいないぐらいの名ハンターだった。
てっきりもう知ってると思ってたどまさか存在も教えてなかったなんてな~~。黒道の爺さん。」


「な…」


「なんで最初に言ってくれなかったんです!?」


イライラと驚きを目の前の男にぶつける。


「…じゃあ絢人君は最初に言って信じたか?」


「っ…」


確かに、男の言うとおりだった。
もし電話口で伝えられていたら、あのカバンの中身を、本当の使用目的で説明されたら?


「『これは化け猫や幽霊を殺すための道具です』って言って、信じたかい?」


「……。」


信じなかっただろう。あの状況なら笑う余裕もなく、間違いなく警戒が臨界に達して逃げていた。


「…黒道の爺さんから、俺が死んだらお前が絢斗を一人前にしてくれ。って言われててな。」


「僕…が?」


僕が霊を?銃や刃物を使って?今まで持った一番長い刃物は柳刃の包丁ぐらいだ。力だってほとんどない。
そもそも僕はまだ高校生だし…


「強要はしない。……、君には権利がある。」


「…いきなり言われても」


「…君には権利がある。真実を知る権利が。」


「えっ…?」


「黒道絢人。君のお父さんとお母さんも、俺たちと同じハンター《狩人》だった。」


「!!」


お父さんとお母さんが?


「うそだ、だって、お父さんは会社員、お母さんは主婦で…僕が生まれてすぐ…事故で死んで…」


「…」


「って…お爺ちゃんが……」


言ってた、お爺ちゃんが。


絢人が俯く。


「死因は仕事中、しくじったんだ。獲物は強力なヤツだった。お父さんはお母さんを庇って…お母さんは命と引き換えに獲物を狩った。……立派だった。」


男は絢人に、言い聞かせるように言った。最後に帽子を深く被り、俯いた。
恐らく、知人だったのだろう、もしくはそれ以上の友人だったかもしれない。


「信じろって、言うんですか。」


「それが真実だ。」


わかっていた。本当のことなんだと。それでも疑いたかった。たった今膨大に流れ込んできた真実を否定したかった。
“非現実な真実”から、“嘘の現実”を守りたかった。


あたりに冷たい風の音が響く。


低い声で、絢斗が静かにつぶやいた。
男は押し黙り、続きを待つ。


「僕、やります。」


「……いいんだな?危険だし、元には戻れない。絶対に。」


男は真剣な眼差しで絢人を見、問う。そこには車内の時の様なおどけた様子は一切ない。
真剣に、目の前の少年を。絢人の覚悟を。


「……はい。」


また、絢人も男の目を、しっかりと見据えていた。


「……わかった。じゃあ俺の本当の名前を教えよう。」

 

「九峰蘭化《クミネ ランバ》だ。よろしくな。」

 

「……それ、本名ですか?」


先ほどの亜木という名前の方がまだ違和感のない名前なんじゃまいか、と絢人はいぶかしんだ。


「当て字だからな…。」


頭を掻く蘭化。


「結局本名じゃないんですか!?」


「日本では本名だ!それより神社に戻るぞ。依頼主のこと忘れてた。」


「あっ」

 

その後僕達は神社に戻った。
正気に戻った明代さんと、両親の二人から感謝の言葉と謝礼のお金を頂いた。
料金は基本無いのだが、「気持ち」だそうだ。亜木…蘭化さんは、ありがたく頂戴していた。


僕は狩人になるために蘭化さんの付き人?弟子?養子?どういっていいかわからないが、とにかく付いていくことになった。

一人前の狩人《ハンター》になるために。


たった一日で普通の高校生から別の世界に来てしまったのだ。
でも、もしかしたら僕には『こちら側』が現実だったのかもしれない。いままでが嘘の世界だったのかもしれない。 


どちらかはわからない。もしかしたらどちらも嘘で、どちらも現実かもしれないが、言えることは


僕が今から踏み入れる世界が、お父さん、お母さん、お爺ちゃんの…皆が見てきた現実だという事。


そう思うと、怖いような、嬉しいような、わくわく?にも似た感情が、胸の奥から――――

 


「起きろ、出発だ。」

「ふぇ!あ、はい!」


つづく

養父は狩人。第1話 「あり得ない」

男は肩までかかる位のロン毛で、どこか日本人離れしている青みがかった瞳。助手席のシート背の低いくいシルクハット、袖からちらりと見えるハンドルを握る右手は包帯に包まれ、左手は黒い手袋をしていた。

「あ……はい。」

「乗りな。」

「……」
絢斗は言われるがままに、目の前に横付けされた黒いプロボックスに乗り込んだ。

「あの…名前は…」

「ああ、すまん。俺は亜木。夕刻亜木だ。」

「アキさん、ですか…よろしくお願いします。」
珍しげな名前に、絢斗はすこし興味をもった。
アキなんてアニメのヒロインや、女性によくありそうな名前だ。引き取り先の人なら、僕の名前は夕刻絢斗になるんだろうかとぼんやり思っていると、車のタイヤが動きはじめた。駅に備え付けてあるバス停のくねくねとした道でハンドルをきりながら、亜木が話しかけてきた。

「今日は仕事がある。結構遠出になるから、そのつもりでな?」

「あ、はい……仕事って、何をやってるんですか?」

「見たらわかるよ、お楽しみ。」

「はあ……」
仕事って何なんだろうか。頭の中にモヤモヤが残った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


バイパスを出た黒のプロボックスは、山道にさしかかろうと急カーブを曲がっていた。
1時に駅を出発して、もう3時間は経とうとしている。
道中、亜木との会話は絢斗の学校などの話でそれなりに盛り上がり、退屈はしなかった。だが、絢斗の祖父
、黒道直之や亜木自身、仕事の内容の話題になると、亜木は口を噤んだ。

「少し食料と水買ってくる。待っててくれ。トイレ行きたかったら行けよ?」

「あ、じゃあ待ってます。」
絢斗の返事を聞き取ると、亜木は道中のコンビニに車を止めて降り、店に向かっていた。
(暇だな……)
絢斗はふと、助手席の足元に目を止めた。黒い物体に気がついたからだ。
駅では窓の外からでは死角で見えず、今までは亜木に気がいっていて意識的に死角だった。

それが、なんだか無性に気になった。

「なんだろう……鞄?」

目を凝らすと、袋からは光沢のある黒い、長い棒のようなものが一本、突き出ていた。

「えっ……」

お腹の中に一気にざわざわとしたものが広がり、動悸がおき、鼓動が早くなる。

(銃身!?)

銃には詳しくない全くのド素人の絢斗の目にもわかるようなデザインの銃口が、袋(鞄か?)の口から覗いていた。

普通ならモデルガンかと疑うが、今の絢斗にはその余地はなかった。
謎の残る祖父の遺言状。携帯番号しか信用性のない引き取り人。仕事の内容や素性を明らかにしない亜木。
それらの埋もれていた不信が吹き出した絢斗には、そんな「普通」な考えが出せなかったのだ。
絢斗は恐る恐る袋を手に取り、中身を確認した。

(な……)

息が止まった。
鉄の匂いが鼻をつく。

なに、これ?

袋の中には赤いシミがついたナイフ、突き出ていた銃以外に2丁の長めの銃(ライフル?というのだろうか。)その弾が40超ほどと、
他にも名前も知らないような物(大抵には血?が付着)が沢山入っていた。
頭が痛くなってきた。凶器?しかも、たぶん、本物だ。全部。全身の毛穴から嫌な汗が一気に吹き出る。
落ち着け。焦るな。そんな言葉が頭の中を通り抜けるが、一向に心臓は落ち着く気配がない。
とりあえず、急いで入っていたものを袋に戻し、元の位置に置いた。
耳鳴りがする。こんなことありえない。一体何がどうなって…………

その時、車のロックが開く音がした。
帰ってきた。今目にした大量の凶器の所有者が。
今度は心臓が止まりそうになった。

「悪い、待たせたな。」

車内が水を打ったように静かになった。

返事をしなければ。怪しまれてしまう。そんな心の声とは裏腹に、声が出ない。
恐怖で肺が硬直してしまったように、息が苦しい。きっと自分の顔は今、恐怖に歪んでいるだろうか。

亜木は何か感じたのか、少し表情を曇らせた。

感づかれたか 当たり前だ。ガチガチなのだ。
亜木は助手席の袋に目を落とし、そしてゆっくりとこちらに視線を戻し、最悪の言葉を放った。

「見たのか?」

「あ……いゃ……はい。」
頭から血の気が引いていく。しどろもどろになりつつ、問に答えた。

「そうか……」
あまり気にしていないと言わんばかりの、さっぱりとした受け答えに驚いた。てっきりすぐにでも、口を塞がれると思ったのに。
亜木は全く道中と変わらぬ様子で、エンジンをかけた。

「気になるか?」

「え?」
いきなりの問いかけに、思わず声が出る。

「その銃、狩りに使うんだ。」

「へっ?」

「狩り。俺の仕事だよ。さっきも一頭狩ってきたとこでな。この時期は忙しいんだ。」
そう言って、狩猟免許書を絢斗の目の前に突き出した。免許証には、亜木の氏名と顔写真が印刷してあった。

「あ…………」
なへなと力が抜ける。体が溶けてしまいそうな安堵感に包まれた。何故だか手足がしびれた。

「まさか人用かと思ってたか?」
亜木は半笑いで冗談めかしに言った。

「え…ええ、はい。まあ。」

「…っ。おい……、映画の見過ぎじゃないのか?」
笑いを堪えたのか、亜木は少し息を止めていた。

今度は顔が熱くなってきた。恥ずかしい……。
山道を登る間、亜木さんに謝罪し、コンビニで買ってきたおにぎりとお茶を食べた。
その間、亜木さんからは色々な話を聞いた。獣を仕留めた時は直ぐ解体し、痛むのを防いだり、今の様に寒い時期はそこにおいて後で回収するのだという。
安堵感、これからの自分の生活はどうなるのかなど、そんな事を考えていた。

 

「着いたぞ。」

亜木の口からその言葉が出たのは出発して4時間、午後5時のことだった。
空は夕焼けに染まり、鴉が鳴いていた。
待ち焦がれていたその言葉を耳にした絢斗は、顔をあげ窓の外を見た。そこにはどう見ても手入れされている跡が見当たらないような、古びた神社があった。

「あの……亜木さん。」

「なんだ?」

「狩りをするんですよね?」

「そうだ。依頼されてな。」

「こんな神社で一体何を?出発前のお祈りでも?」

「すぐわかる。ちょっとその鞄持って付いて来てくれ。」

「……はい。」

亜木は車を降り、助手席のシルクハットを被って神社に向かっていった。
そのあとを絢斗が荷物を持って続く。


神社に入ると、ひと組の老夫婦が待っていましたと駆け寄ってきた。

「明代を、明代をどうかよろしくお願いします。」

「分かりました。責任を持って。」

こんな会話がチラリ、と聞こえたが、なんのことだか解らない。
アキヨって誰だ?狩人って獣を狩る仕事だろ?まさかペットの名前?

ペットを狩人に頼んで殺す?

モノスゴく暴れてるとか…?

そんなあり得ない事を考える程、頭が混乱していた。

「なにボーっとしてる。行くぞ。」
亜木さんが強めの口調で言い放ち、奥の部屋に進んでいく。

「え、あっ!」
「ちょっ…と…」
慌てて追いかけて奥の扉をあけ、質問を投げかけようとしたが、その声は急激に萎んでいった。

なぜって?

さっきの自分の考えよりも「あり得ない光景」があったから。

 

 

つづく

養父は狩人。 第0話 「祖父の死」

お爺ちゃんが死んだ。

お調子者で、孫好きだったお爺ちゃん。 生まれてからすぐ、両親が他界した僕に精一杯の愛を注いでくれたお爺ちゃん。

訃報を聞いた時は現実味が無く、しばらく呆けていた。

二週間前、ゲートボール仲間と旅行中、事故にあって逝ってしまった。 車に轢かれ、死因は脳挫傷だった。

生命保健や事故の賠償金、遺産、お金に困ることは無かった。でも、もうあの年甲斐もなくはしゃぐ笑顔は見れなってしまった。 広い家も、財産も、一人になるとブカブカの靴下の用にぎこちなく、気持ちのいいものでは無かった。 時折、もう出ないと思っていた熱いものが、目から零れて止まらない事もある。 やっぱり、まだ立ち直れていない。

お爺ちゃんとの思い出を拭い取るために、生前使っていたものは殆ど家から出した。 といっても、盆栽やゲートボール用具、ハマっていた妙なガラクタぐらいだ。 親切にも、お爺ちゃんの遠い親族のおじさんが引き取り先を紹介してくれて、案外スムーズに事は運んだ。

残った物は、お爺ちゃんが大事にしていた木札と、数珠だけだ。 木札はお爺ちゃんが僕に御守りとして残してくれた物。思えば、昔からお爺ちゃんはおまじないをよくしていた。

寒い。一月の下旬、コートを着ていても耳や手、露出した部分を冬風が容赦なく責め立てる。

「そろそろ時間かな」

腕時計を確認する、時計の長針は11を回ろうとしていた。 12時の待ち合わせだから、あと5分もない。 急いで詰めたので隙間が空いているのか、動くたびに何かが中で動く。

「……確かめなきゃ。」 自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

「あれ…」

お爺ちゃんは歳から自分はもう長くはないと思っていたのか、前もって遺書を残していた。 書斎の戸棚を整理している時に見つけたものだ。

が、寝室の奥を掃除していたところ、もう1通書置きがあるのを発見した。 表紙は無地だったが、閉じた紙の裏からインクが透けて見えた。

それには僕の引き取り先、と記されたの電話番号と、 『孫である絢斗に、私の事を教えてほしい。』と書かれているだけだった。 それを見ていると、色々な疑問が浮かんできた。 引き取り人の事は考えてもいなかったし、それよりまず、親戚の人にも伝えてる筈だ。でもそんな話も聞いていないし、なぜ氏名でも住所でもなく電話番号だけ? 私の事を教えてほしいって…昔の事か何かなんだろうか?それに今まで一緒に暮らしてきたのは紛れもなく僕なのに………

あのおじさんに、相談するべきだろうか? それはあまり気が進まなかった。 おじさんとは葬式の時に初めて知り合った仲で、実際、お爺ちゃん以外に親族を知らなかった僕はひどく安心した。が、向こうはそうでもなかったらしく、遺品の引取りが終わった後は連絡をしても帰ってきてない。

結局、 引き取り先と記された電話番号にかけてみることにした。

そもそも日付ものっておらず、いつ書いたのかもわからない、が、ここに書いてある字は紛れもなくお爺ちゃんの物だ。 骨を焼かれ、灰になって、この世から完全に消えてしまった。 家の中から物を出したりした。心の中からも消さなくてはと。 でも、いくら忘れようとしても、やはり捨てきれないらしい。僕はこの字に、文に、"それ"を感じた。

祖父の、最後の残り香にすがる事にした。

「……」

携帯を開き、メモに書き写した番号を一つづつ押していく。 緊張を払うようにゆっくりと時間をかけて、あるいはいつもより速いかもしれない。僕は打ち終わり、発信ボタンを押した。

「!」

掛かった。プルル、とコール音が鳴っている。でも、すぐには出ない。 3回目のコールが鳴り止もうとした時、ブツッという音と、

「もしもし?」

低い、男性の声が携帯の口から聞こえた。 相手が出た。

「あ……あの…すいません。僕、黒道直之(クロミチナオユキ)の孫なんですけど……」

言った。言ったぞ。 心臓の鼓動が速まる。緊張する。いや、もうしてる?

「………ああ、黒道の爺さんの…」

向こうの男は言った。やはり知人なんだろうか。いや、知人でもない男に孫をあずけるわけがない。混乱してきた。息が苦しい。

「…あ、はい。…」

「名前は?」

相手は矢継ぎ早に言葉を投げかけてきた。当たり前か。僕は自分の名前を言うだけなのに、えらく緊張して、深呼吸をして、言った。

「僕の名前は、絢斗(アヤト)、黒道絢斗(クロミチ アヤト)っていいます。」

それから、少し間が空いた。 なんだよ、今度は黙るのかよ。

たった2.3秒だったのかもしれないが、僕には無限の時のように思えた。 その後、電話の向こうで男は再度口を開いた。

「そうか、よし。」

よし?

「爺さんから話は聞いていた。今から車で迎えにいくから、一応必要な物持って待ってろ。南中台駅の西口に12時に来てくれ」

「い、今!?ですか!?南中台…」

混乱した。いや、いくら何でも急すぎる。迎えに?必要なものって、もしかして引っ越すのか?今から?やっぱりお爺ちゃんの事を何か知ってる?話?

頭の中で複数の疑問が一斉に湧いてはこんがらがり、今耳に入った最寄りの駅の名前を繰り返してしまった。

「急いでるんだ。じゃあ切るぞ」 

「ちょっ……」

─ブツリ

「…き、切れた……?」

ツー、ツー、という機械音が頭の中に響く。

「ひ、必要な物っていったって……」 何秒か、それとも何分か。 しばらく呆けていたが、ハッとして携帯の時計を確認する。時刻は9:57。 「あと2…う、わ…急がないと!!」 そう口にしながら、僕は自分の部屋に走った。

寒さに耐えて待っていると、一台の黒い車が丁度、目の前に止まった。 心臓の鼓動がまた、速まる。窓が開く。

男が居た。

「黒道絢斗、であってるか?」

電話の男の声だった。

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