養父は狩人。 第4話 「襲来」
「おいおい、なんの騒ぎだい。」
一人の男が猟師風の男と、農家風の男に訳を訪ねた。
いつも通る道の真ん中に、人だかりができていたからだ。
人だかりから少し距離を取っていた二人のうち、農家風の男が答えた。
「警察だよ」
「警察?」
「ああ。なんでもここ最近起きてる猟奇殺人の件で、うちらに聞きたい事があるんだとよ。」
聞き返された男は興味津々といった様子で、人だかりを見つめていた。
「はあ~、猟奇殺人っていったら、あの何かに齧られたみたいな死体のことかい。」
訪ねた男も載っていた自転車を止め、それに加わった。
「猟奇殺人なんて大げさな、いいか、あれはクマの仕業さ。冬眠できないクマが暴れてるんだ。」
そう言いう猟師風の男も、目は先の二人と同じように興味を帯びていた。
「刑事さん、……待っとったよ。」
老人がしゃがれた声で、刑事に歓迎の言葉を述べた。
「どうも、ご協力ありがとうございます。刑事の指柄です。」
刑事は、形式ばった挨拶でそれに答える。
二人の周りには何事か、と野次馬と化した村人たちが取り囲んで、訪問者の顔を一目みよう、と騒ぎ、それを聞きつけた村人が…と雪玉のように大きくなっていた。
想像できると思うが、かなり喧しい。
「んん…どれ、刑事さん。外は寒いじゃろて、話はわしの家で聴こう。ほれ!皆、話は聞こえたじゃろ。解散じゃ!」
老人は「神田」という表札が貼られた家に警察官を通し解散を呼び掛ける。その日は比較的陽気だった。
指原は老人宅の奥の間に通された。
十五畳ほどの和室だ。中央にある背の低い木のテーブルの足には、滑らかな波状の溝が掘ってある。
そのテーブルの上座と下座に、それぞれ座椅子が置いてあった。
「…『狩人』の指原さん…じゃな?いや、それも偽名じゃろうが。」
座椅子に腰掛け、重要そうな面持ちで、話を切り出す。
「はい。秘密主義なものでね。」
指原は淡々と、少し冗談めいた口調で答えた。
「……まさか貴方がたの世話になる時が来ようとはのう…」
すこし遠い目で、老人は呟いた。
話には聞いていたが、本当に霊なんて物が、それを退治するものが本当に居るとは。
「殆どの方が、そうおっしゃいますよ。」
指原はそんな感情を読み取ったかのように、ニコリとしながら言う。
「不幸じゃわい。」
ようやく茶が運ばれてきた。
「例の件の事……もう依頼の書類に詳しく書いたはずじゃが、何か不備があったかの?」
「ええ、神田さんから送られた遺体や現場の写真を私どもの資料と照らし合わせました。今回の怪異の正体は犬神で間違いないでしょう。」
「しかし…気になる点が幾つかあったので、現場に出向いた次第です。」
ズズ、と出された茶を啜りながら、指原は答えた。
「と、言うと?」
「本来犬神は人を…というか、肉を喰らわないのです。」
それを聞いた老人は
「まさか」
と目を丸くした。
「……私の知る中では、ね。」
自分もまだ消化不良のある指原は、正直にそう答えた。確証がないのだ。
だが、その道に関しては全くの『無知』である老人を信じさせるには十分な信評性を持ち合わせていた。
だが
「しかし…亡骸は確かに抉られておった…それに」
「小さな水晶の塊が、あった。と」
犬神は、穢れを贄とし、それを喰らう。
その時、消化された穢れは純粋な物として排出される。
主に水晶や氷、水などだ。それは特別な加護を持っている訳では無いが、あらゆる面で純粋な塊とされていて、悪霊は近寄ることすらままならない。
これには自分の領域に悪霊を入れないためのマーキングという説があるが、審議は定かではない。
そんな水晶が遺体のそばにあったというのだ。
これの存在で、正体はほぼ確定的だった。
「そうじゃ。その事を聞いて、あんたはその…犬神だと。」
専門家がおかしい、普通ではないかもしれない、と言っているのだ。
本来怪異に遭遇し、それだけで生きた心地がしないというのに。老人が不安がるのも無理は無かった。
「ええ、そうです。…それに、今回のは犬神で間違いはないでしょう…。」
「だからここに来たのですよ、神田村長。」
「指原と名乗る男」は、青い目をしていた。
《三時間ほど前》
目が覚めた
携帯のアラームに思いのほか強く鼓膜を叩かれたせいか、目覚めが悪い。
次はもう少し耳から離しておこう。と考えながら、どこか重い頭を上げつつカーテンの向こうを見た。
黒い空に淡く紅色がグラデーションをかけている。まだ明け方だ。午前3時に設定したアラームはしっかりと役目を果たしてくれたようだ。
んん、と喉を鳴らしながら背中を伸ばすと、ずきりとした痛みで喉が渇きを示した。この季節は寝起きが辛いな、と思いながら道中のコンビニで買ったペットボトルの茶を流し込む。
多少は和らいだがまだ擦った様な痛みが残っている。早起きは慣れっこだが、やっぱり冬は好きになれない。…でも寝苦しい夏も嫌いだな。
わがままな自分の思考に若干呆れつつ、ベッドから体を出し支度をする。支度といっても寝る前に大体済ませておいたので、確認だけしておく。
確認を済ませ、おそらく下で寝てるであろう二人を起こさないようこそこそと家を出る。
「ふー。」
ここでの愛車のプロボックスに乗り込み、荷物の入った鞄を助手席に投げ置く。
長旅に備えての小休止として煙草を一本、吸う。
いつも通りだ。
キーを差し回すと、静かな暗闇にエンジンが唸った。
車は夜道を走っていた。
田舎は街灯がほとんどない。田んぼの近くではハイビームでも暗く感じるほどだ。
どうも妙だ。
それが蘭化の行動の理由だった。
いくら形跡や目撃証言が犬神に酷似していても、犬神が肉を喰らうなど聞いたこともない。
そんな蘭化の経験が、この件は妙だ、と言っていた。
だが、一方で第六感というか、狩人の勘、というべき物が、これは本物だ、とも言っていた。
そんな二極の考えに、蘭化は昨夜の時点から悩まされていた。
そして双方に挟まれた結果、はじき出されるように行動に移ったのだ。
やっぱりこの目で確かめるのが一番早いだろう。
という答えが蘭化の中で導き出された結果だった。
実際、この考えは危うい。死人が出ている事件で、詳しい事がなにもわかってない状況で単身で現場に入るのはマズい。
だが、だからといってリオは非戦闘員もいいところ。絢人にいたっては言うまでもない。
蘭化は一人で情報収集をするしかなかったのだ。
幸い現場はリオの家からはそう遠くない。大体3時間ほどだ。近いからリオの家に寄ったという言い方もできるが。
「なにか見つかればいいが」
そう呟きつつ2本目の煙草を咥えた。
―――――――――――――――――――――――――――――
「んん……」
窓から指す朝の日差し
小鳥の声が奏でる小さな合唱
まさに絵に書いたような清々しい目覚めだ。
資料の紙が周りに散乱し、フローリングに寝たためか背骨を痛めてなければ。
「寝ちゃってたのか…」
そう、絢人は呟いた。寝起きのせいか、まだ若干呂律が回らない。
欠伸をこらえつつ、ムクリと上体を起こす。遅くまで起きていたせいか、まぶたがなかなか軽くならない。
目を擦りながらパソコンの置かれた机に視線を伸ばすと、リオさんが突っ伏してすうすうと寝息を立てている。
眠くて……考えがまとまらないなあ。
とりあえず、洗面所を借りよう。
重い体を持ち上げ、ドアに向かった。
「えっこ、えっこ……」
ドサリ、と音をたてて紙の山が机に置かれる
「これで、全部ですか?」
自分の持ち分を運び終えた蘭化が村長に尋ねた。
ふぅ、と一息ついた神田は「最近の若い者は配慮が…」と愚痴をポロッと零した。
「ああ。うちにあるのはこれで全部じゃ…あててて。」
腰を押さえつつ、そう答えた。
「そうですか、じゃあやりますよ。共通点の洗い出し。」
ため息を吐きつつ気を引き締め直した様子で、資料の山に手をつけ始める蘭化。
村長はキョトンとした様子でこちらを見ている。
「何を?」と顔に書いてあった。
その視線に気づいた蘭化は、
「自分の村の一大事何ですから、少しくらい手伝う義務があるんじゃないですか?村長。」
と半ば暴論じみた説得により、協力者を獲得した。
村長は強制的にこの作業が決まった時、薬箱の場所を思い出そうとしていた。そのくらい骨の折れる仕事だと、目の前に山積みにされた資料から想像することは容易だったからだ。
バシャッ
と、ぴりっとするような冷たい感覚が肌を突き刺す。
念入りに目尻の辺りを擦り、傍にあったはずのタオルを手探りで探し、顔を埋めた。
「ふぅ。」
最後にこめかみから顎の横の辺りまでを拭き、目を開ける。
目が覚めた。それに比例してか、頭の中も少しシャッキリと霧が晴れたようだ。
だが昨夜は何時まで起きていたか、覚えていない。
とりあえず今が午前10時と言うことは携帯が教えてくれた。
「とりあえず…片付けるかなあ」
洗面所を出て発した第一声は、リビングに散乱した紙に吸い込まれるように消えた。
「……ん?」
今さっき言ったことを実行しようと、何気なく拾った紙。その紙から何故か目線が離せなかった。
「……」
まるで取るべくして取らされたような、そんな気がしたのだ。それも、強烈に。
吸い込まれたかのようにその資料の文に目を這わせる。
「……これって…もしかして……」
絢人の足は2階に向かっていた。
流石に住人全ての出身、学歴、職業、個人情報を纏めるのはなかなかに骨の折れる仕事だった。
ここまでの成果を見ると、自然とため息が出てきた。
神田村長はストレスのせいか、胃薬を飲んでいる。…名簿にある者の資料を順番に持ってきてもらっただけなのだが。
「収穫ありだ…!」
満足げに蘭化はそう言った。
が、心の奥ではまだ疑問や違和感と言ったものが残っていた。結局肉を食う理由などはわからずじまいだったのだ。
「ま、とりあえずリオに連絡だな…」
携帯電話を手に取り、電話帳からリオにかけた。
ガチャッ!
「蘭化さ…!…ん?」
報告の為に訪れた部屋はもぬけの殻だった。
「あれ…おかしいなあ。たしかこの部屋で…」
もしかして一人で調査にでも行ったのだろうか?そんな考えが頭に浮かんだ。
さすがに…あの人なら全然ありうるかも。
そもそもここまでなにも言わずにつれてきた人だし…
とりあえず携帯電話を手に取り、蘭化にかけた。
次の瞬間……目の前の机の中でタイミングバッチリのコール音が聞こえた。
もしやと思い机の引き出しを開けると、案の定というか何と言うか、携帯電話が六台ほど入っていた。その内の一台が子気味のいいコール音を出しながら振動している。
「…うそぉ……」
ここまでするか。
どうしよう、と頭を抱えている時、下から別のコール音が聞こえてきた。
「…固定電話かな?」
とりあえず目の前で鳴っている物より優先度は上なので、急いで下に向かった。
「もしもし?俺だ。」
急いでとった受話器から、ある程度聞きなれた声が響いた。
「蘭化さん!どこ行ってるんですか!?」
「えっ?ああ、絢人か。まあいい。現地に向かって直接調べてた所だよ!プロ意識ってやつだ。」
「プロ意識って…」
なにも伝えてくれなかったし…ダミー?の携帯番号しか教えてくれてなかったし、そもそも固定電話にかけてきたし、もしかしなくてもこの人僕に期待全くしてない。
少しのいらだち、というより若干の落胆を感じつつ、それよりも大きな興奮で言う。
「蘭化さん、それより1つ分かった事があるんです。僕が見つけたんですけど!」
「お?奇遇だな。こっちもだ。そっちから聞かせてくれ。」
「はい…えっと…犬神って、昔は呪術の一種でもあったみたいなんです。」
「…ほう。」
「なんでも犬の生首とかを使って儀式を行うらしいんですが…えっと、つまり人を殺す為に使われた事があるって事なんです。妖怪としての犬神の始まりでもあったとか…」
「…ご苦労。結構いい感じの情報だ。俺でも知らなかった。なかなか頼れるじゃないか絢人。」
「えへへ…そうだ、そっちはどんな事ですか?」
褒められた、嬉しい。なかなか慣れないむずがゆさについ笑いが出てしまう絢人。
「被害者の共通点が割り出せた。要因はおそらくこれだろう。被害者の 近藤美紀、田中大吾、西裏佳子…らは全員同じ村から来た者達だと言う事。調べていくうちに、3人の血族は深いところで付き合いがあった事。」
「同じ村…。」
「そして…その村の出身の者はこの村にはもう居ないと言う事もわかった。おそらく、襲撃は打ち止めだ。 」
「……えーっとつまり…進展ありって事ですかね?」
「ああ。「かなり」進展ありだ。…とりあえずリオ起こしてこのことを伝えてくれ。どうせ寝てるだろう?」
「は、はい。」
「今から戻る。じゃあな。」
ツー、ツーと言う音が耳に響いた途端、少し力がぬけた。
もう標的になりそうな人物がいないってことは、もうこの事で苦しむ人がいないって事だろう。
もうすぐ終るんだな。
自分は何か――役に立てたんだろうか?
電話を切りふうとため息をつくと、蘭化は村長にお礼を言う、つもりでいた。
村長がもう一人ぶんの資料を持ちながら、そこに立っていた。
「いやあすまんの、ついうっかりワシの分、わすれとったわ。」
猛烈に嫌な予感が蘭化を襲った。いつもの、狩人の、感だ。
「なにか電話で話しておったの、聞こえんかったが…。」
「…すいません村長、ひとつ聞きますが…出身は…?」
「ん、石泣村じゃよ。ここの娘じゃったかみさんに惚れてのう、婿入りしたんじゃ。」
村長がその言葉を口にした時、なぜか嗅覚が何かを感じ取った。
獣の匂いだ。
「旧姓はたしかニシウラじゃ。東西の西に、裏表の裏。昔の事で忘れとったわい。」
「村長っ!」
次の瞬間獣臭が部屋に広がったかと思うと、テーブルに獣の爪痕が走り、湯呑が四散した。
狂犬が、来た。
つづく